藍島

◎島の将来ビジョン

「愛のある島「藍島」」

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

漁業の安定化プロジェクト

都会から30分の別世界プロジェクト

島名 藍島(福岡県、北九州市)
人口
(平成28年4月1日時点)
262人
位置 北九州市の北の海上に位置し、本土から直線距離で4.2㎞。市営渡船「こくら丸」で小倉北区浅野から馬島経由で約35分で到着します。小倉港までは、JR小倉駅新幹線口から徒歩約5分です。
面積 0.68 km²
地勢 南北に細長く、起伏の小さい平坦な島で、全島が古第三紀層砂岩からなり、海岸は沈降性で岩礁帯が連続し、周囲に良好な漁場を形成しています。
気候 気候は比較的温暖ですが、九州北端に位置しているため、季節風の影響を受けやすいです。夏は晴天も多いですが、湿度が高く、蒸し暑い日が多くなります。
産業 島の主幹産業は漁業で、主に春には鯛・サワラ・コウイカ・サヨリ、夏から秋にはアワビ・ウニ・サザエ、冬はブリ、アジ、ヒラメ、ナマコなどが漁獲されます。また、特産品としては、サワラの加工品や乾燥ひじきなどが製造され、中でも塩蔵ワカメは北九州市の学校給食(8万食)に提供されています。
平成28年度には、漁協が窒素ナノバブルを用いた高鮮度維持装置を導入したことにより、若手を中心としたグループによるサワラやアカウニなどのブランド化の動きが出てきています。

藍島へは、北九州市の小倉駅すぐ近くの市営渡船乗り場から、船で35分で到着します。小倉は、新幹線も停車しますし、北九州空港も近いので、アクセスは良好です。

平日でしたが、若い観光客が多く来ていました。若い観光客のお目当ては・・・

そう、猫です!!藍島には、多くの猫がいて、それを目当てに観光客が訪れています。

藍島の主産業は漁業で、サヨリ、サワラ、ウニ、アワビなどが名物です。
どの島も同じですが、高齢化や後継者不足は深刻なようです。

ここは、アワビの種苗センターです。稚貝を大きくして海に放流しています。

遠見番所旗柱台という、江戸時代の史跡。密貿易船を見つけるとここに旗を立て、小倉の番所に知らせていたようです。

島の小学校。新築で、今年の2学期から利用されています。エアコン完備、給食センター完備の充実した施設です。現在の児童は15名。島内に中学校はなく、島外の学校に通うことになるようです。

千畳敷と呼ばれる砂浜です。遠くに見える島は貝島。大潮の干潮時にだけ、藍島と貝島がつながり、歩いて渡ることができます。

島の特産はウニです。集落のあちこちで漁師がウニ剥きをしています。

集落の中は道がくねくねしています。道が狭いので、歩いていると自然を声をかけ合う、素敵な距離感を作ってくれます。

ワークショップには、若い方々がたくさん参加してくれました。

普段は、島のご年配の方と若い方が、島の未来について話し合うことはないようで、貴重な機会となったようです。

町ではできない体験が、藍島の魅力。
子育てをする時に、ひとつの選択肢として。
両羽 雅也さん/藍島

福岡県北九州市、小倉から20分程度の場所にある離島「藍島」で生まれ育った両羽さん。一度は小倉でサラリーマンとして働いていた両羽さんは、なぜ漁師として島に戻ったのか。お話を伺いました。

ー生まれ育った環境を教えてください

藍島は、福岡県の小倉駅から船で20分ほどしたところにあります。2,3時間で一周できるほどの広さの島で、人口は300人ほどです。うちは代々漁師の家系で、私で7代目になります。小さい頃から、学校が休みの日には父の漁の手伝いをしていました。刺し網のゴミを取ったり、一緒に船に乗ったり。そういうのが好きだったんでしょうね。

海は好きでしたよ。夏場になれば、いつも海で泳いでいました。島の学校には、当時40人位生徒がいて、みんなで外で遊んでいることが多かったですね。

島には小学校しかないので、中学生の時は、島外に出て、寮生活をしていました。土曜日に島に帰って来て、月曜日の朝にはまた島を出ます。同級生や先輩と一緒に暮らす寮生活は、楽しいことばかりでしたね。高校は島から通える距離だったので、毎朝島から学校に通いました。

身体を動かすのが好きだったので、高校時代はバスケットボールばかりしていましたね。学校帰りは、小倉駅の近くにあったバスケットコートにいましたね。高校は工業高校で、卒業後は、そのまま小倉で就職しました。周りの友人も就職する人が多かったので、とりあえず就職したという感じです。漁師を継ぐかどうかは、この時はあまり考えていなかったですね。

ー島に戻った経緯を教えてください

数年は小倉でサラリーマンをしていたんですが、子育てのことを考えたら、やっぱり島で暮らしたいと思ったんです。その時はまだ結婚していなかったんですが、将来結婚して子どもが生まれたら、自分が過ごしたような環境で子どもにも育ってほしいと感じたんですよね。釣りをしたり、泳いだり、そういうのがすぐにできる環境。それって、小倉みたいな町じゃできない特殊な体験で。そう考えて、島に戻って漁師を継ぐことに決めたんです。

島に戻って、まずは親父の手伝いから始めました。小さい頃に漁を手伝っていたのとは全然感覚がちがいましたね。仕事なので、どれだけ魚が捕れたかが生活に大きく関わります。魚が取れないと楽しくもないし、どうしたら多くの魚を捕れるか、いつも考えていました。

同じ場所でも、刺し網の仕掛けるポイントがちょっと違うだけで、取れ高がぜんぜん違うんです。毎日毎日、別々の場所で試してみて、よく捕れた場所を覚えておく。それの繰り返しが、漁師の勘になっていくというか。それでも、失敗の連続で、数年間はかなりきつかったですね。

漁師の仕事って、寝る時間が短いので、体力的にはかなりきつい仕事だと思います。また、休みも月に1回くらいです。海が荒れたら漁には出られませんが、網の張替えなどをしているので、休みになるわけではありません。そんな大変な状況でも、漁師をやめようとか、町で働こうとか思うことはなかったですね。自分で決めたことだったので。

ーここ数年の生活や仕事の状況を教えてください

私が島に帰って来た頃と比べると、魚の漁獲高は、明らかに減っています。温暖化や赤潮の影響で、捕れる魚の種類が変わったり、元々多く生息していた根付の貝類が死んでしまったりするんです。今年は、藍島でいちばん有名なウニも不調でした。

そうなってくると、親の世代が、子どもに島に帰ってくることを薦めなくなります。ついでも、仕事にならないですから。実際、島では高齢化が進んでいて、60代の人が一番多いくらいです。私自身、今の状況で子どもに漁師を継いでほしいかと言われたら、正直首を縦には振れません。魚が捕れたらいいんですけど、そうではないので。

温暖化に合わせて、九州の南の海で捕れるような魚を放流して漁獲するとか、いろんな種類の魚を漁獲して市場に出すとか、そういった工夫をしています。さらに、これまではお金にならなかったような水産資源を、都会の人にも知ってもらいたいと考えています。

例えば、テレビなどでも紹介されて認知度が高いのは「カメノテ」ですね。亀の手に似た見た目の、固着動物です。地元では、カメノテを味噌汁にして食べるのが普通なんですが、都会ではあまり流通していませんよね。こういうものを、都会の人にも食べてもらえるようにしたいですね。あとは、郷土料理。藍島では、ウニが有名なんですが、ウニと味噌を卵でとじて食べたり、かしわご飯のようにウニご飯を食べたりします。こういう料理も、多くの人に知ってもらうことで、藍島の魚を食べてもらえるようになるんじゃないかと思っています。

ー両羽さんにとっての島の魅力を教えてください

やっぱり、町ではなかなか体験できないことを、気軽に体験できることですかね。気軽に海に出て、一日中泳いだり、釣りに出たり。それはかけがえのない体験だと思うし、子どもにはこういうところで育って欲しいです。

あと、魚はやっぱり美味しいと言われますよ。小倉で暮らす兄弟も、たまに帰ってくると、島の魚が一番美味しいと言ってたくさん食べてくれます。

もちろん、島には不便なことだってたくさんあります。藍島の場合、島の中で全てが揃うわけではないので、船を持っていないと面倒なこともあります。例えば食料品。漁港に販売店はありますけど、それだけじゃ全部揃わないこともあります。そういう時は、定期便か自分の船で小倉まで買いに行かなければなりません。また、病院もないので、急病になった時に助からないことだってあります。うちは、子どもが生まれるとき、夜中に妻が破水したので、私が船を出して本土の病院まで連れていきました。

そういう不便な面もあるのですが、やっぱり島の人が好きだし、慣れ親しんだ場所なので、できることなら島に住み続けたいと、みんな思っているんですよね。住み続けるためには、漁自体を活性化させたり、いろんな飲食店とつながっていろんな魚を買ってもらう必要があります。また、島では高齢化が進んでいるので、お年寄りが集まれる場所をつくるとか、やるべきことはたくさんあります。

藍島は小倉からすごく近いので、観光には来やすい場所です。野生の猫が多いので、それ目的で来る人もいるんですが、いま、観光客が来ても、それが島の経済につながるような仕組みがありません。観光を経済につなげることも、大事なんじゃないかと思います。

外の人や企業とも繋がって、住みたいと思った人が、なるべく長く住み続けられる島にしていきたいですね。

両羽 雅也さん
1978年生まれ。福岡県北九州市小倉北区出身。島で漁師として働く。