大崎上島

◎島の将来ビジョン

知識と技術の羅針盤が示すポラリス、大崎上島。

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

教育の島プロジェクト

島の魅力発信プロジェクト

海景色が映える町活性化プロジェクト

企業CSR・研修誘致プロジェクト

イノシシ活用プロジェクト

島名 大崎上島(広島県、大崎上島町)
人口
(平成28年4月1日時点)
7,987人
位置 大崎上島は瀬戸内海の中央、芸予諸島に位置します。島には5つのフェリーターミナルがあり、広島県の東広島市、呉市、竹原市、また愛媛県の今治市と結ばれています。便数も多く利便性が高いです。
面積 43.11㎢
地勢 中央部に主峰神峰山がそびえ、その稜線が東西を貫いています。また、尾根が海岸線まで迫る瀬戸内海離島特有の地形を形成しているため、急傾斜が多く、平野部が少ない特徴を有します。
気候 瀬戸内海独特の温暖少雨な気候で、降雪・降霜日数も多くありません。
産業 大崎上島町は、大崎町、東野町及び木江町が平成15年に合併し誕生しました。町木は「みかん」、町花は「パンジー」です。産業は、柑橘類を中心とした農業、栽培漁業および近海漁業、造船、鉛精錬が中心です。特産品は、いちご、上島トマト、温州みかん、ブルーベリーです。また、レモン栽培も盛んで、は日本一の生産量を誇る広島県下でも有数の生産地となっています。さらには、教育にも力を入れており、平成31年4月から県立の中高一貫校グローバルリーダー育成校(仮称)が開校予定です。
生まれた場所がなくなる危機感が原点。
大崎上島のシェアハウスで描く未来。
松本 幸市さん/大崎上島

広島県にある「大崎上島」で移住希望者向けのシェアハウス運営を行う松本さん。上京して東京で働いていた松本さんが、24歳で地元に戻り、地域課題に取り組むことを決めた背景とは。お話を伺いました。

ー生まれ育った環境を教えてください

大崎上島という、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の一つの島で生まれました。柑橘系やいちご、ブルーベリーなど、果物の栽培が盛んです。他にも造船業が盛んで、島には広島商船高等専門学校という高専があり、私もその高専出身です。

島内には県立の普通校と高専の2つの学校があり、普通校は島内出身者がほとんどなのに対して、高専には島外の人もたくさん来ます。私の場合、特別商船に関心があったわけではないのですが、青年海外協力隊などを経験した父親の影響で、広い世界に関心があり高専に進みました。

高専生活は卓球部に捧げました。高専の卓球部は全国大会に行くようなチームで、とにかく部活漬けの日々でしたね。そのおかげか、特に4年生くらいからは自分に自信つき始めました。今まで以上に外の世界への関心が強くなって、「遠い世界で勝負したいな」と考えるようになりました。

卒業後は全日本海員組合に就職しました。世界をまたにかけるような大きな仕事をしようと意気込んでいましたね。職場の本社が六本木にあるため、20歳で島を離れて上京しました。

ー東京から戻ってきた経緯を教えてください

東京での生活はとにかく楽しかったです。全体的に上昇志向の人が多い気がします。仕事では、本社研修を受けた後、貨物船の船員として現場に出ることになり、2年半ほど船の上での生活が始まりました。

私が乗っていたのはアメリカや中南米を周る船で、外国人の船員に囲まれて暮らしました。船での生活は面白かったですね。小さなコミュニティの中で工夫して楽しんで。色々なものに触れて新しい価値観を得て、充実していました。

2年半ほど働いたある時、地元の高専の恩師から電話がありました。話を聞いてみると、島の先生が皆さん定年で、学校に現場を知っている人がいなくなってしまう。島に戻ってきて高専の先生として働かないかという誘いでした。

先生には本当にお世話になっていたので、自分にできることがあるならしたい、と感じましたね。元々、長男ということもあり、遅くとも定年退職したら島に帰ろうと思っていました。予定よりは早いけれど、このタイミングでも良いかなと思いましたね。

あとは、何より、もう一度母校で、恩師の元で卓球に携わりたいという思いが強かったです。今の自分なら現役の時よりももう一個高いレベルに持っていけるんじゃないかと思ったんです。

24歳のタイミングで会社を退職し、島に戻ることを決めました。迷いはなかったですね。わりと早く決めました。

ー移住希望者向けのシェアハウスを立ち上げた背景を教えてください

高専に戻ってからは、色々と自由に挑戦させてもらい、充実した毎日を送りました。海運の現場を見たからこそ、授業の方向性も明確になり、顧問を務めた卓球部は天皇杯に行くチームになりました。スポーツを通じて人が変わっていく瞬間にたくさん出会えたのが印象的でしたね。

そんな時、生まれ育った地元の山尻集落で、高齢者の孤独死が連続して起こりました。30世帯しかないのに、誰にも知られずに高齢者が亡くなることが相次いだんです。もちろん、前兆はあったはずです。でも、島に帰ってから、平日は授業と部活、土日は試合で島外に出ることを繰り返していたので、突然訪れた出来事に困惑しました。

気づけば、地元の雰囲気は相当重かったです。「この集落はもう終わる」という暗いビジョンを地域全体で共有してしまっていて。生まれた場所がなくなる危機感から、目の前が真っ暗になりました。これはまずい、誰もいなくなってしまう。なんとかせにゃいけんと思いましたね。

色々考えた結果、学校を退職することに決めました。地元の空き家を借りて、自分で何かしようと考えたんです。山尻集落には空き家がたくさんあって、近所付き合いがなくなっていました。「なんとなく」のコミュニケーションがなくなるとまずいと思い、用途も決まらぬまま、とりあえず空き家を借りました。

毎日集落で犬の散歩をしながら、空き家の用途を考えて他の地域も見て回った結果、ゲストハウスやシェアハウスなら成り立つんじゃないかと考えました。島に戻ってから4年ほど経った28歳のタイミングで、一度全てを手放し新しい挑戦をすることに決めました。

ー現在の活動や今後の島でのビジョンを教えてください

現在は、大崎上島への移住希望者を対象にしたシェアハウスを運営していています。すでに累計利用者は100人を超え、山尻集落に6人、島内全体では12人の移住者が生まれました。利用されるのは20代から30代の方が中心で、居住地域は県内と東京・埼玉・千葉・大阪などの主要都市が半々ですね。できれば長期で泊まってほしいですが、2・3泊の方もいます。実際に移住することを考えた時に、その地域に受け入れてもらっている感覚が大事だと思うんです。そのために、地域とのつながりを持てるコミュニティを作っています。

移住促進を行う行政とも話し合いもしながら、移住者呼び込みのためのシェアハウスを作り、移住希望者の要望を受けて、島での仕事の紹介を始めて。だんだん地域の課題と資産のマッチングができるようになってきました。実績ができてからは他の地域からも空き家の活用について相談を受けるようにもなりましたね。

その他にも、夏は海水浴場の運営をしたり、キウイフルーツ・ぶどうなど、自分で農業もしています。海や季節の果物は島の魅力の一つですね。

今後はサイクリストをターゲットにカフェバーを作ったり、移住者の就労支援、婚活支援などもできたらと考えています。これからもマッチングを通じて地域の課題を解決していきたいですね。

松本 幸市さん
1985年生まれ。 広島県豊田郡大崎上島町出身。移住希望者向けのシェアハウス運営を行う。