宇和海諸島

◎島の将来ビジョン(九島)

くしまのみんなが元気で活き活き、楽しんで暮らせる島づくり ~島外からもウェルカム~

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案(九島)

H28.4に本土とつながる橋が架かりました。そのかわり九島小学校、九島幼稚園が廃校となり子供の声がしなくなりました。廃校跡地を使い、島の人が活き活きできるような、島外の人が来ても楽しいような場所づくり&島づくりプロジェクトです!

九島にはいろんな「ライフスキル」を持ったおっちゃんおばちゃんたちがいっぱい!

九島のものを食べたり飲んだりするところがありません。ニーズはあるけど…

今までやったことないことだし、まとめてくれる人いないかなー…


◎島の将来ビジョン(戸島)

心の戸(トビラ)を開けたくなる島~戸島~

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案(戸島)

「とじま婚活」プロジェクト

「戸島ぶり」知名度向上プロジェクト

島名 宇和海諸島(愛媛県、宇和島市)(九島、戸島)
人口
(平成29年4月1日時点)
九島:897人、戸島:325人
位置 九島:宇和島市街のすぐ目の前にあり、本土との最短距離は約300mとなっています。平成28年4月3日に九島大橋が開通し、市内中心部から約10分で訪れることができます。
戸島:宇和島港から西方約20kmの位置にあり、1日3便の高速船(片道約50分)と1日1便の貨客船(行き約1時間30分、帰り約2時間30分)が運行しています。
面積 九島:3.37㎢、戸島:2.75㎢
地勢 どちらの島もほとんどが急峻な山地となっており、海岸線にある平地に集落が点在しています。
川はなく、本土から海底送水が行われています。
また、戸島はほぼ全島が足摺宇和海国立公園に含まれています。
気候 瀬戸内地区と太平洋沿岸地区の中間に位置しており、年間平均気温は17℃前後と四季を通じて温暖です。
季節風を避けるため、集落は島の東側に集中しています。
産業 九島:半農半漁の島ですが、生産所得では水産業がほとんどを占めており、ハマチやタイ等の養殖と小型まき網漁が盛んです。
また、九島大橋完成前は1日9往復のフェリーが運航しており、本土への通勤も見られます。
戸島:水深が深く潮の流れの早い戸島周辺は好漁場であり、一本釣と養殖業が盛んです。なかでも、40年以上かけて島ぐるみで養殖技術を培ってきた「ブリ」は絶品で、愛媛県の愛あるブランド産品にも認定されています。また、栄養塩が海底から湧き上がるため海藻類が豊富にあり、良質な天草やひじきが採れることでも有名です。
コーディネーターレポート
観光よりも、暮らす島!橋で渡れる離島で目指すこと。
山瀬 忠弘さん

愛媛県宇和島市にある離島、九島にて石油販売業をしながら、市議会議員を務める山瀬忠弘(やませただひろ・56歳)さん。宇和島市議会で唯一の九島に暮らす議員として、目指したいこととは。お話を伺いました。

ー幼い頃の九島での生活を教えてください

小さい頃は、とにかく自然に触れていましたね。海で泳いだり、サザエやアワビを取って遊んだり、段々畑でみかんを取ったり。毎日外で遊んでいました。

私が子どもの時は、小学校の同級生は45人くらいでした。九島には中学・高校がないので、船で市内に通います。船は波や風によって欠航になるので、天気は常に気にしていましたね。また、朝と夜の運行時間が決まっているので、時間にもかなりシビアでした。部活で朝早い時間に集合する日は、前日から市内に宿泊する必要があって大変でしたね。

東京で働いていたことのある父から都会の話を聞いていたので、東京に行きたいという気持ちは強かったです。そこで、高校卒業後は東京の大学に進学しました。

東京での生活は便利でしたね。天気や時間を気にせずに、家の近くまでバスや電車で帰れるって、夢物語のようでした。都会は、「普通の生活」が便利なんです。

ただ、やっぱり九島が恋しくなることはありました。地元に帰る時に、トンネルを抜けて宇和海が見えた瞬間「ああ、帰ってきたな」と実感します。

ー大学時代を東京で過ごした後、どうして九島に戻ったのでしょうか

大学を卒業する時、父に家業を継ぐように言われたからです。父は、私が中学生の時に、九島で石油販売業を始めました。小型タンカーに乗り、海の上で漁師の船などに油を補給する仕事です。

中学・高校生時代から手伝いはしていましたが、継ぐことは考えていませんでした。将来はサラリーマンや公務員になると考えていましたから。大学時代も、教職を取り、公務員試験の勉強や就職活動もしていました。

そんな時に、両親から戻って来るように言われて。正直なところ、最初は「戻りたくないな」と思いました。

ただ、4年間も東京で遊ばせてもらったことに感謝していましたし、色々な方に相談するうちに、融通が効く自営業もいいかなと思えました。大学を卒業して戻る時は、抵抗感はなかったです。「じゃあ戻ろうか」といった感覚でした。

とはいえ、戻ってきてからは都会の生活とのギャップは感じました。やっぱり、何をしても時間の制約があります。一本船を逃したら何時間も待ちますし、市内で飲み会がある時は、8時過ぎにはお店を出ないと間に合わないので、一次会の途中でさよならです。分かってはいたことですが、大変さは感じました。

一方で、暮らしやすさも実感できました。子育てでは、いつも周りに誰かがいるので安心できます。自治会や消防団など地域の役割を担う大変さや、地区ごとの人間関係を把握する難しさもありますが、一度中に入ってしまえば、団結感があってとても居心地がいいですね。

ー島で石油販売業をする中、なぜ市議会議員に立候補したのでしょうか

最初は、議員になるつもりなんて全くありませんでした。6年前の2011年、宇和島市議会の中に、九島に住んでいる議員が一人もいなくなってしまい、2年後の選挙に出るように言われたのですが、私は議員をするようなタイプではないと思っていたので、立候補しませんでした。

ただ、議会に島の人がいないと、なかなか島への政策が通りません。いくら陳情に行ってもなかなか取り合ってはもらえませんし、議題として取り扱ってもらえるようになっても、継続審議されるかどうかは議員次第なところがあります。その上、2017年3月には、島内唯一の学校だった九島小学校が閉校することになりました。

いよいよ、九島がまずいことになる。九島自体がまとまって、何かをするための最後のチャンスかもしれない。そういった周りからの声もあり、市議会議員に立候補することにしたんです。

九島には、できることがまだまだあります。2016年に九島大橋が開通したことによって、人の行き来は抜群に良くなりました。それまで島内で行われていた消費が島外に流失する一面もありますが、整備や修理などの観点からいえば、良いことが多いと感じています。

それまでは、道路工事やトイレの増改築などのインフラ整備には莫大なお金がかかっていましたが、かなりのコストカットになります。たくさんの人が訪れるようになった今、島を一周回る道路の整備や、自転車で来た人向けのちょっとした休憩スペース、トイレの整備などを進められたらと考えています。

また、廃校もうまく活用できないかと考えています。地元には、塾を開いたり、島の食材を使ったバイキングを開催してくれるおばちゃんたちがいるのですが、場所がない。そういう人のために、廃校を活用できないかと考えています。

ー山瀬さんが考える、これからの九島について教えてください

まずは、人に来てもらうことが大切だと考えています。ただ、島に宿はほとんどないので、大規模な人数ではなくて、少人数で遊びに来てもらえたらと思います。予約してもらえたら、船で魚釣りなど、色々遊びもあります。これからは、来てくれた人に楽しんでもらうために、インフラ整備をしたり、島全体の遊びをコーディネートできる人を作らなければと考えています。

ただ、大きな観光地にはなってほしいとは思っていません。九島は観光ではなく、暮らす島。観光で言えば、自転車やバイクでふらっと遊びに来て、夕陽を見たりコーヒーを飲んだり、ゆったりと過ごす場所にしたいですね。

移住者は増やしたいのですが、現状は住む家がありません。空き家はありますが、仏壇があったり、年に数回は家族が帰ってくるので、他の人に貸したがらない人も多いのです。今は、ボランティアで家を開放している方がいるので、そこで大学生ボランティアの人に宿泊体験のようなものを提供しています。宿泊や住むための場所は、何とかしたいですね。

島で暮らす上では、島の人とうまくコミュニケーションが取れることは大切です。地区ごとに色々な関係性がありますし、島に住んでいる人なので、最初は警戒心が強いのは事実です。

でも、寂しがり屋で、優しくしてあげたい気持ちは人一倍強いので、一度打ち解けられたら、本当に楽。朝玄関前に魚が入っているバケツが置かれていたり、野菜が置いてあったり、料理を教えてもらったり、そういうことが日常であります。

島の人と仲良くなるために、島にボランティアに来た大学生などには、名札をつけることをお勧めしています。やっぱり、名前がわかると安心するんですよね。まずは、短い時間でも来てもらって、九島の暮らしを体験してもらえたらと思います。

個人的には、毎日海が見えることが好きですね。静かな日に、船の上で波に揺られている時が最高です。

山瀬 忠弘さん
1961年1月27日