知夫里島

◎島の将来ビジョン

知夫里島は『幸流』の島を目指します!

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

島の人、自然、文化をフル活用した交流人口の拡大及び魅力発信

収入300万円、ストレスZERO社会の構築!

幸福度の追求!来島者(子供からお年寄りまで)、人生をお互い学び合える専門学校をつくる。
(生きていくため知恵の学びや、様々なスキルを持つ島民の発掘&教育旅行・企業研修等の受入)

島名 知夫里島(島根県知夫村)
人口
(平成29年4月1日時点)
603人
位置 北緯35度59分~36度02分
東経133度~133度04分
面積 13.70㎢
地勢 知夫里島は東西に長く、西の赤ハゲ山(325m)から、松尾山(179m)、大峰(153m)を経て東の高平山(149m)までの間に山が連なり北側は内海に向かって比較的緩やかな傾斜を成し、神島、浅島、島津島などに囲まれた知夫湾は、瀬戸内的な美しさを見せてくれます。また、西側には名勝「赤壁」を代表として、季節風波により削り取られた岸壁が形成され、勇壮な景観を見ることができます。
気候 対馬海流(暖流)の影響を受け、海洋性気候で夏冬の温度差が小さく、夏はしのぎやすく、冬は比較的降雪量の少ない島ですが、北西からの季節風により曇りや時化の日が続きます。
産業 知夫村の主要産業は畜産業と漁業です。畜産業は子牛を販売する繁殖農家のみで、漁業はヨコワ漁、サザエやアワビなどを対象とするカナギ漁、イワガキの養殖などが主力となっています。
コーディネーターレポート
子どもの環境を考えて島に移住。
よそ者視点を持つ議員が描く島の未来。
小新 和美さん

島根県、隠岐諸島の最南端に位置する「知夫里島」で村議会議員をしながら、特産品づくりのため養蜂を始めた小新和美(こしんかずみ・43歳)さん。大阪から移住した小新さんがよそ者視点で描く、島のビジョンとは。お話をうかがいました。

ー知夫里島との出会いを教えてください

私がはじめて知夫里島に来たのは、20歳の頃です。結婚前に、知夫里島出身の夫に連れられて遊びに来ました。大阪生まれの私にとっては初めての離島です。船で移動するのも新鮮で、異国に来たような気分でした。

一番驚いたのは、人の距離の近さでしたね。船で島に向かっている時に、船内の広間で島民の人が寝ていて。知らない人がいる場所で寝っ転がるなんて初めて見て、その気を遣わなさ加減に驚きました。また、島の中ではいろんな人に話しかけられ、島民みんなが私のことを知っているのにもびっくりしましたね。距離感に戸惑いましたが、嫌な感じはしませんでした。

また、食の豊かさも印象的でした。魚は切り身ではなく、丸々一匹出てきます。海でナマコを見たのも初めてでした。山では、はっさくがたくさん実っている場所に連れて行ってもらい、豪勢な食を堪能。楽しいことばかりでした。

その後、夫と結婚して、何度か島に足を運ぶようになりました。ただ、移住するつもりは一切ありませんでした。夫は大阪で仕事をしていたので、結婚後も大阪に住み続けました。

ー大阪から知夫里島に移住したきっかけを教えてください

移住したのは、2000年のことです。うちの子どもは気管支が弱くて、どこか環境のいい場所で暮らせないかと考えたのがきっかけです。最初は、試しに一ヶ月ほど知夫里島で過ごしてみました。すると、薬を飲む必要が全くないほど、子どもの調子がよくなったんです。それを見て、移住を決心しました。

夫や周囲には、最初は反対されました。それでも説得を続け、最終的にはタイミングよく島での仕事に空きが出たので、移住することができました。当時の私は26歳で、子どもは4歳と2歳。不安がなかったわけではありませんが、若かったので何でもできると思っていましたね。

実際に島で暮らし始めてからは、地域特有の人間関係を理解するのに時間がかかりました。時には窮屈に思うこともありますし、逃げ出したくなったこともあります。でも、自分で決めたことだったので、意地でも帰らないと決めていました。それに、大阪に戻ったとしても、私の居場所ではありません。私の生活の拠点は知夫里島だったのです。

人の距離の近さは、裏を返せばいい面もたくさんあります。いろんな人に声をかけてもらえますし、自分が必要とされる実感を持てます。特に女性は家庭、仕事、地域活動のバランスは難しいですが、自分の役割を感じられるのはすごくいいことだと思います。

それに、子育てにはすごく適した場所だと思います。子どもは4人います。長男は建設会社へ。長女は美容師として自立しており、今年、高校受験の次男と6年生の三男と賑やかに過ごしています。みんな知り合いなので治安はいいですし、大自然の中で子どもはのびのびと育ちます。友人たちにも恵まれ、一緒に子育てをする仲間は大切な存在です。また、子どもたちもやることが多いので、社会性が養われ、15歳で島を出るときには、生きる力が強い「メシの食える大人」へ成長できると感じます。

ー島で過ごす中で、なぜ村議会議員になったのでしょうか?

何度か「村議会議員に」と声をかけていただいてました。それまでは、観光協会、郵便局、ホテル、役場、保育所、学校調理場、介護施設、多くの事業所から声をかけていただき、お世話になりました。家業の畜産業の手伝いもしています。政治には全く関わったことはありません。前例のないことで、「私に務まるか⁉︎」と立候補するかどうかは悩みました。

でも、子どもたちを大きくしてもらった島に貢献するいいチャンスだと思ったんですよね。知夫里島に移住して15年以上経ちますが、島に対して「もったいない」と思うことは多くありました。島には資源がたくさんあるのに活かしきれていないんです。工夫次第で島の暮らしはもっとよくなるはずなのに、島の経済的発展には関心が低いと感じます。だったら、私のようなよそもんの視点が、島の役に立てるのではないかと思ったんです。色々な想いを持ちながら村議会議員に立候補することにしたんです。

結果、無投票ではありましたが、知夫里島では初の女性議員となり、日々、先輩議員の方々に教えてもらいながら、ありがたい環境で仕事をさせてもらっています。

ー議員として、島で暮らす個人として描く知夫里島のビジョンを教えてください

私としては、知夫里島の稼ぐ力を高めたいと思っています。生活と経済は切っても切り離せませんし、特に子育て世代はのんびりだけでは過ごせません。稼げる島になれば、島外の人も移住を検討しやすいと思います。知夫里島は65歳以上の人口が50%に近い。島の生活基盤を支えるためには、移住者を呼び込みんでいく必要があります。

そのため、まずは産業を活性化することが必要です。直近では、観光に力を入れたいと考えています。知夫里島には、大自然がたくさんありますが、今は景色を見て終わってしまい、島にほとんどお金が落ちません。通過型ではなく、滞在型の観光を整備する必要があります。

滞在型観光を実現するためには、特産品が重要になります。商品でもスポットでも、目玉になるものが大切です。知夫里島の一番の魅力である人を活かし、人と触れ合える体験を作れたらと思います。もちろん、島民の従来の生活バランスを取りながら、できる方法を模索しています。

また、特産品づくりも念頭に入れ、個人的には昨年より養蜂を始めました。養蜂の師匠は西ノ島の方で、ご縁があり譲っていただきました。はちみつは、その土地の咲く花によって、味が変わります。つまり、知夫里島で作られるはちみつの味は、他では再現できないのです。しかも、和蜂のはちみつなので、1年に1回しか採蜜できません。量産はできませんが、だからこそ希少価値を感じてもらいたいです。食べたら知夫里島の光景が浮かぶ「知夫里島そのもの」のはちみつを堪能してもらえたら嬉しいです。

私は島と全く関係ない地域から移住したよそもんですが、幸せに暮らしています。そんな私の姿を見て、よそもんでも知夫里島で暮らすという選択肢が、多くの人の中で生まれ、一緒に汗をかいてくれる仲間になっていただけたら嬉しいですね。ただ、観光で訪れるのと、生活拠点とは別ものですので、ギャップを感じることも多くあります。分からないことばかりだと思いますので、まずは知夫里島に足を運んでもらい、実際に会ってご縁が繋がることを願います。

小新 和美さん
1973年12月23日