中通島

◎島の将来ビジョン

「しまは麗し 恋せよ乙女計画」

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

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島名 中通島(長崎県、新上五島町)
人口
(平成28年4月1日時点)
20,249人
位置 新上五島町は、九州の西端、長崎県五島列島の北部に位置しています。本土には、高速船で約1時間半、フェリーで約2時間半であり、博多港、佐世保港、長崎港と結ばれています。
面積 213.98km²
地勢 海岸線延長は約429km。南北に細長く十字架の形をした中通島には白砂をたたえた多くの自然海浜が存在し、海蝕崖など複雑で変化に富んだ地形が特色となっています。
気候 年間平均気温は17℃前後と比較的温暖な気候です。春から夏には南東の風が、秋から冬にかけては北西の季節風が多く、年間降雨量が多いです。
産業 五島うどん、かんころもち、豆ようかん、椿油、焼酎が有名です。特に五島うどんは、古くは遣唐使船の寄港地として上五島が活用されていたことから、うどん文化が伝承され、日本最古のうどんとも呼ばれているものです。麺の表面に椿油を塗るという島独特の手法で作られ、各メディアに取り上げられたことから、全国から注目を集めてます。
上五島出身のプロミュージシャンが、島で起業!
ITから島興しをするために。
切江 優さん/上五島

長崎県の西に位置する新上五島町・中通島で会社を興した切江さん。高校卒業は東京に上京し、プロのミュージシャンとして活躍。その後、デザイン・WEB制作会社を経営する中で、なぜ地元五島でグループ会社を立ち上げたのか。お話を伺いました。

ー生まれ育った環境を教えてください

とにかく、海に囲まれていた印象があります。外で遊ぶと言えば海。夏はずっと泳いでいた記憶があります。

そんな田舎暮らしでしたが、小学2年生の時に、XJAPANのhideに憧れてギターを始めました。この頃から、将来はミュージシャンになりたいと思っていました。ただ、中学、高校では結構、好き勝手させてもらって親に迷惑をかけたので、就職しないでミュージシャンを目指すとは、口が裂けても言えませんでしたね。それで、高校卒業後は、大手のIT企業に就職して、東京に上京しました。

東京に出たいという気持ちは、昔からありました。華やかな世界に憧れていたんです。ただ、音楽の道は諦めていませんでした。正直、就職は東京に出る口実で、1年位したら会社を辞めて、音楽をやろうと思っていました。

実際、会社は3ヶ月ほどで辞め、それからはアルバイトをしながら音楽を続けました。クラブでDJをしたり、曲を作って他のアーティストに提供したり。不安はありませんでしたね。なんとかなると思っていました。

数年間のフリーター生活の後、22歳の頃に、バンドでメジャーデビューしました。バンドはすぐに解散しましたが、それからは作家レーベルに所属して、アーティストに楽曲を提供するのがメインの仕事でした。有名なアーティストの為に曲を作ることも多くて、仕事は楽しかったですね。

ただ、26歳の時に音楽業界を離れることにしました。仕事は順調でしたが、音楽業界の将来性を考えた時に、CDは売れなくなっているし、このまま続けても自分が好きなことはできないと感じたんです。

それで、デザインやWEBサイト制作を行う会社を立ち上げました。少し前から、曲作りだけでなく、アーティストのWEBサイトの制作やジャケットのデザインを頼まれることもあり、独学で勉強を始めていたんです。それまでもフリーで仕事をしているようなものだったので、自分で会社をやることに違和感はありませんでしたね。

ー上京してから地元とはどのように関わっていましたか?

上京してからは、地元に帰ることはほとんどありませんでした。地元が嫌いなわけではありません。むしろ好きでしたが、島を出る時、仲間から盛大に送り出してもらったので、音楽で成功するまで簡単には帰れないと思っていたんです。

上京して6,7年は一度も帰ってないと思います。音楽業界を離れたくらいの頃から、同世代の友人が結婚をするようになって、結婚式に合わせてたまに帰るようになりましたが、相変わらず拠点は東京でした。

ただ、会社を立ち上げて3年目くらいの時に、精神的にかなり追い詰められた時期があって、その時は養生のために島に帰りました。昔から慣れ親しんだ場所ですけど、ある意味では非日常体験ができて、リフレッシュになりました。すごいスローな生活も良いなと思いましたね。

その後、会社は持ち直して、業績も順調に伸びたので、事業拡大のために新しい拠点を出そうと考え始めました。すると、帰郷した時に役場で働いている友達から「どうせ会社を大きくするなら地元でやってよ」と言われました。それで、その気になってしまったんです。

地元で会社を作って、業績が伸びるかどうかはあまり考えていませんでした。何とかなるだろうと思っていましたし、地元に貢献できるならやりたいと思ったんです。地元のために何かしたいとは、ずっと心にありましたから。そもそも、音楽で有名になりたいと思ったのも、五島出身の有名人って思いつかなかったので、自分が有名になって五島を知ってもらおうと思っていました。それで、オフィス用にいい物件がないか、地元で探し始めました。

ー現在の活動を教えてください

今は、東京を本社に置く株式会社AOSAを経営しながら、新上五島町に拠点を置く株式会社D-projectを経営しています。どちらもデザインやWEBサイト制作を行う会社です。今は島と東京、半々くらいで行ったり来たりしながら仕事をしています。

D-projectは単独でやろうと思っていたんですけど、気に入った物件の持ち主が役場だったことから繋がりができて、町の誘致事業としてやることにしました。最初は行政と組むなんて考えられなかったんですけど、町長さんが、すごく親身に話を聞いてくれるんですよね。僕の見た目は派手なので、行政としては中々手を組みづらいと思うんですけど、そんなのは一切気にせず、中身を見てくれて。そういうところに魅力を感じたんです。

2016年4月に立ち上げたばかりの会社なので、今はまだ技術を習得したりと、事業を立ち上げるための助走期間ですが、今後は島の物産をITから支える存在、ITから島興しを促進できる存在になりたいと考えています。

まずは、島のITインフラを整えることを始め、インターネットを通じて島の魅力を発信していきたいと考えています。そもそも、上五島は世の中的にはほとんど知られていないので、しっかりと伝える必要があります。島の認知度を高めた後は、島の外から仕事を取ってきて、外貨を稼ぎたいと考えています。

ー切江さんから見た島の魅力を教えてください

自然もいいと思いますが、一番は人ですね。僕の場合は、東京で人に揉まれて、なんとなく人に疲れてしまった部分もあるからだとは思いますが、この島の人の素直なところが好きです。我が強くないというか、ひたむきに努力する姿勢みたいなのが好きですね。

D-projectにも、5人の社員が入社してくれました。みんなと一緒に、新しいことをして、いい意味で目立っていきたいですね。中学生や高校生に「こんな仕事もあるのか」と、注目してもらえるような存在になりたいです。

島をもっと盛り上げていくために、個人的には、競合のIT企業にもっと入ってきてほしいと思っています。島のことを考えたら、一番必要なのはIT企業ですから。島の難しさって、何を売るにも輸送コストがかかってしまうこと。そう考えたら、輸送する必要がないデジタルコンテンツを活用するのが一番いいはず。情報を扱う基盤を作らないとだめなんです。だから、お互い意識し合って、高め合えるような競合企業には、ぜひ島に来てほしいと考えています。

また、将来ある程度資本力がついたら、地元の人が何かをやりたいと言った時に出資もしたいですね。自分は、親にも周りの友人にも恵まれたおかげで、やりたいことができました。ラッキーだったんですね。自分が挑戦させてもらえたように、周りの人も挑戦できるような環境を整えたいですね。

切江 優さん
1983年生まれ。長崎県新上五島町中通島出身。デザインやWEBサイト制作を行う株式会社D-projectを経営。