笠岡諸島

◎島の将来ビジョン

人が自然と集まる島

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

少量多品種を活かしたグルメメニュー開発

体験型の観光メニュー開発(企業の研修メニュー含む)

島内移動の実証実験誘致

島名 笠岡諸島(岡山県、笠岡市)、(高島,白石島,北木島,真鍋島,飛島,六島)
人口
(平成28年4月1日時点)
合計:1,909人
(高島:95人、 白石島:528人、 北木島:894人、 真鍋島:221人、 飛島:95人、 六島:76人)
位置 笠岡諸島は岡山県の西南部に位置し、南は香川県、西は広島県に接しています。南北に帯状に点在しており、旅客船やフェリーによって、(所要時間は30~60分程度)結ばれています。
面積 高島:1.05㎢、 白石島:2.96㎢、 北木島:7.49㎢、 真鍋島:1.49㎢、 飛島:1.35㎢、 六島:1.02㎢
地勢 笠岡諸島は約30の島からなる美しい多島景観を有しており、瀬戸内海国立公園に指定されています。各島、海岸周辺に集落が形成されています。また、山地には遊歩道のある島もあります。
気候 瀬戸内海特有の温暖少雨な気候で、降雪・降霜日数も少ない。真鍋島では花きが栽培されてきた経緯もある。
産業 観光客を対象とした旅館や民宿などのサービス業が主流を占めています。特徴的な産業は、北木島における石材業であり、古くから北木石は大坂城の石垣や明治神宮、靖国神社の大鳥居などに用いられた名石として知られています。高度成長期には大きく発展し、最盛期には花崗岩を採掘する丁場の数が島内に約130箇所もありましたが、現在では2箇所のみとなっています。今後は、輸入石材に対抗するため付加価値の高い商品開発が重要となっています。

【白石島】山の上の巨石によじ登ってみた景色。絶景です。

【白石島】登った石がこちら!採石業が盛んだった白石島。ところどころに大きく立派な岩が存在します。

【白石島】かさおか島づくり海社の方にご案内頂きました。
島の平野部は江戸時代につくられた干拓地。コスモスがきれいです。

【白石島】明日からお祭りということで、島の人たちが準備をしていました。
ワイワイ地域の方々みんなで準備されるそうです。地域の濃い繋がりを感じました。

【白石島】廃校した小学校の体育館では、地域の方々が裂き織りを教えているそうです。
小学校の前では綿を栽培していました。

【白石島】ワタリガニ。味がさっぱりしていて食べ飽きません。
夏は海水浴。秋から冬は海の幸を目当てに観光に来る方が多いそうです。

【六島】人口67人。歩いて島一周できる、六島。ところどころアートの香りがする島です。写真は、漁業で使われなくなったブイを使った動物キャラと、移住された方が描いた地図。

【六島】島の中学生が描いたイラスト。ゆるさがたまりません。笑。

【六島】灯台に向かう途中で見つけたブランコ。冬には水仙が一面咲き誇り、圧巻の景色になるのだそうです。

【六島】日本ロマンチスト協会と日本財団が共同で実施する「恋する灯台プロジェクト」で、「恋する灯台」に選ばれたそう。

【六島】六島灯台からの景色。瀬戸内海一望。遠くに瀬戸大橋が見えます。夜の星空もきれいだそうです。

【六島】ワークショップ会場。空き家をリノベした「島小屋」は、11月~飲食・宿泊ができる施設としてオープンするそうです。六島では積極的に学生インターンの受け入れなどされているそうです。

島での思い出が、原動力。
瀬戸内海の中心の島から魅力を伝える。
天野 正さん/笠岡諸島

70年間、島と共に生き続ける天野さん。数年間島を離れ工場地帯で暮らした時には、島の風景が自然と心に湧いてきたとか。生まれ育った白石島、そして笠岡諸島全体を活性化させ続ける天野さんにお話を伺いました。

ー生まれ育った環境を教えてください

笠岡諸島の中で二番目に大きい島、白石島で生まれました。私が子どもの頃は、人口は今の4倍以上、2400人ほどいて、中学生頃までは島に映画館もありました。

自然に囲まれた地域ですから、遊びといえば山か海でした。野山を必死に開墾している時代で、段々畑の中を歩いたのが印象的でした。また、煮干しを作るため魚が干されている海辺を歩き、イカなどを拾って食べていましたね。

島の外に出ることはほとんどありませんでした。定期船は頻繁に巡航していませんでしたし、生活も今ほど豊かではなかったので、気軽に買い物に行くこともできません。笠岡諸島内の他の島に行くことすらありませんでした。

中学卒業後、働き始める人が多い中、私は笠岡市の工業高校に進学しました。電気を学び、将来はオートメーションの設備が導入されている工場で働きたいと思っていたので、地元に残って仕事をする選択肢は、あまり考えられませんでした。

高校卒業後は、島を出て、尼崎にある製紙会社の変電施設で働き始めました。工場地帯での暮らしが始まり、地元の自然が恋しくなりましたね。地元の山の尾根から見える瀬戸内海や砂浜、秋になって麦色に染まった段々畑などの景色を心に浮かべていたことを、今でもよく覚えています。

ー島に戻ったきっかけを教えてください

尼崎で2年ほど働いた後、地元に戻りました。母が亡くなったこともあって、地元のために何かをしたいという気持ちが湧いてきたんです。

島に戻ってからは、家業の花農家を継ぎました。うちの家族は、元々は漁師をしていたんですが、私が中学生になった頃から、花の栽培に生活基盤を移していました。温暖な気候を活かしてチューリップやアイリスなど球根花と電照菊等を育てるほうが、漁師を続けるよりも将来性が有ると思ったんです。継いだ当初は順調な時期もあったんですが、全国的な輸送網の整備に伴い、主な産地は沖縄などより温暖な地域に移り、苦しい時期もありました。

その後、28歳で結婚してからは、妻の実家で行っていた観光業を継ぎました。定期船の販売代理店です。観光に関わり始めてから島を盛り上げたいという気持ちが強まり、積極的に地域活動に参加するようになりました。地域の話し合いを行う公民館の館長を務めるようにもなりました。

また、笠岡諸島全体を盛り上げるために各島で協力しようという話が上がった際には、白石島の代表になりました。それが、現在の「かさおか島づくり海社」に繋がったんですが、最初にやったのは、7つの島合同での大運動会でした。それから、かさおか島づくり海社の活動は、20年近く続いています。

それまで交流がなかったものですから、島同士が協力して何かをするのは、楽しかったですね。こんなに近い島でも、ぜんぜん違う文化があったり、ある島では容易なことが他の島では難しいことがあったりと、新しい発見ばかりでした。例えば、餅つき一つとっても、臼の周りを右回りで回るのか、左回りで回るのかの違いがあることには驚きましたね。

ー現在の活動を教えてください

公民館の館長として、島の地域活動に携わりながら、かさおか島づくり海社の理事として、笠岡諸島全体を盛り上げるための活動もしています。島で連携するようになったおかげで、観光客が一つの島だけ見て帰るのではなく、他の島にも立ち寄ってくれることは増えたように思います。お互い、仲間でもありながら良いライバルでもあるので、競い合いながら、良い文化を築いていけたらと思います。

最近では、歴史を観光資源に活かした取り組みも始めています。笠岡諸島は瀬戸内海のど真ん中にあり、白石島も潮待ち風待ちの島として、昔から様々な人たちとの交流がありましたし、古民家などもたくさん残っています。古い「織り機」なども残っていたりするので、修理して使えるようにしたり、古民家を改修して作業場として使えるようにして、アーティストや島の子供たちとの交流や協働作業に利用してもらっています。

また、尾根伝いを歩く良いトレッキングコースがあるので、世代や性別など、もっと分かりやすい形でコースを紹介したいと考えています。そうすれば、地域の人も楽しめて、観光に来た人も楽しめる、新しいスポットが出来上がりますから。88箇所の石仏をめぐりながら島を一周するコースは、一日で回るにはちょうどいい距離です。

他にも、島に眠っている利用価値の高いものはたくさんあるので、観光と結びつけていけたらと思います。

ー天野さんが感じる島の魅力を教えてください

一番の魅力は、島から見渡せる景色と優しい人々です。島の中央にある大玉岩に登ると、360度、瀬戸内海を見渡すことができるんです。日が昇る時間帯に来ても、日が沈む時間帯に来ても、ものすごく綺麗な景色を見ることができますし、それにも増して何時も声をかけ合う優しい人々がいます。

食べ物では、「もぶり」という混ぜご飯が絶品です。漁師の料理で、鯛やイカ、野菜などをちらし寿司のように混ぜたご飯です。寿司と違うのは、お酢を全然使わないことです。お祝い事など、人が集まる時にはいつも食べていた料理ですね。

たくさんの魅力がある島なので、もっと多くの人に知ってもらって、島を活性化させたい気持ちは強いですね。新しいことを始めるチャンスがある島なので、自分で好きなことにチャレンジしてみたい人にはおすすめです。観光資源の開発や、商品開発、食品メニューの開発など、自分の考えで進められますから。

島には誰も住んでいない家はたくさんあります。ただ、空き家ではなく、持ち主の人が年に一度くらいは帰ってくるため、簡単には人に貸せない家もあります。個人的に、それはもったいないと感じているので、抜本的に解決できる仕組みを考えているところですね。

20代で島に戻ってきてから、島を活性化させたいという気持ちで様々なことに挑戦してきました。その気持ちの源泉は、島への郷愁というか、幼い頃、山や海を走り回って育った思い出が大きいです。いい体験をさせてくれた島に対して、自分が動ける内に恩を返し、次の世代に引き継いでいきたいですね。

天野 正さん
1945年生まれ。岡山県笠岡市にある白石島出身。公民館の館長、かさおか島づくり海社の理事として、笠岡諸島全体を盛り上げるための活動に取り組む。