佐渡島

◎島の将来ビジョン

自分の人生をデザインできる島 ~夢を叶えに子ども達が帰ってくる島~

◎ビジョン実現のためのプロジェクト案

クラウドソーシングプロジェクト

人材育成プロジェクト

佐渡産品の販路拡大プロジェクト

島名 佐渡島(新潟県、佐渡市)
人口
(平成28年4月1日時点)
57,976人
位置 東経138度 北緯38度 日本海上にあり、新潟からカーフェリーで2時間半、ジェットフォイルだと65分で到着します。
面積 855.7㎢
地勢 佐渡の総面積の約70%は森林で占められています。北側には、標高1,000m級の山々が連なる大佐渡山地、南側には小佐渡丘陵があります。
気候 対馬暖流の影響を受け雪も少なく、冬場でも新潟本土と比べて平均気温も高く温暖です。
産業 生産高別に見るとサービス業や建設業。就業人口別で見ると、第一次産業(農業)の割合が高いです。観光資源としては、世界文化遺産登録を目指している佐渡金銀山をはじめ、国際保護鳥トキ・佐渡おけさ・鬼太鼓・能・花など豊富です。ダイビングやトレッキング、釣りを楽しみに通われている方も少なくありません。味覚は、マグロ・寒ブリ・イカ・南蛮エビ(甘エビ)などの海の幸、山菜・キノコなどの山の幸。おけさ柿・りんご・みかん・いちご・洋梨・黒いちじくなどの果樹。そして、世界農業遺産にも認定され評価の高いお米(佐渡コシヒカリ)があります。蔵元も多く、地酒ファンには垂涎の島だと言えるでしょう。近年は地産地消の取組みも熱心に行っています。
7人の家族と一緒に生み出す。
佐渡島ならではの米作り。
相田 忠明さん/佐渡島

新潟県の北に位置する佐渡島で独自の農法を用いた米作りを、家族で展開する相田さん。新潟本土の大手ゼネコンで働いていた相田さんが、島に戻ると決めたきっかけは。
なぜ兼業農家から専業農家になったのか。その根底にある想いを伺いました。

ーどんな環境で育ちましたか?

私が生まれた旧新穂村は、佐渡島のほぼ中心に位置します。島と言っても自宅から海まで遠いですし、大きな島なので「島で育った」という感覚はあまりなかったですね。野球をやったり、虫を捕まえたり、テレビゲームをやったりと、普通の小学生の生活という感じです。

佐渡島感がにじみ出ていることといえば、自然環境よりも、伝統芸の「鬼太鼓」ですね。4月や6月にお祭りがあり、お祭りの1ヵ月位前から、毎日鬼太鼓の練習をします。部活みたいな感じですね。

鬼太鼓は、鬼を舞う人と、獅子を舞う人と、太鼓を叩く人とがいるんです。佐渡人にとって鬼を舞う人はヒーローです。私の地域では、小学6年生で初めて鬼を舞えるんですけど、それより前からダンボールで鬼のお面を作って、自分たちなりに舞を披露していましたね。それこそ、ウルトラマンとか、仮面ライダーとかと変わらない存在です。鬼太鼓の鬼は、神の使いに近い存在で、五穀豊穣、無病息災を叶える存在なので、怖いという感覚は全くありませんでした。

高校卒業後は、大学に進むために一旦佐渡を離れました。佐渡が大好きでしたので、いつかは戻ると思っていました。人生経験を積み、できることを増やして佐渡で何かをやろうと思っていたんですね。

新潟大学に進学し、農村地域の環境保全などを学び、大学院まで進みました。卒業後は新潟の大手ゼネコンに就職。日韓ワールドカップに向けて土地開発が進んでいる時期だったこともあって、休みなく働きました。

ー佐渡島に戻ってきたきっかけは?

島に戻ると決めたのは、就職して4年目のことでした。父の交通事故の後遺症から、農業を続けるかどうか家族で話し合ったのがきっかけです。父は、私が高校生の頃に脱サラし、独自の農法を用いた米作りに挑戦していました。その米がちょうど陽の目を浴び始めていた時期の出来事で、しばらく農作業ができなくなった父を手伝いたいと思ったんです。

また、働き方を変えるいいきっかけだとも感じました。私は妻も子どももいたのですが、仕事が忙しく、家族と過ごす時間はほとんどありませんでした、そんな時期の出来事だったので、これも何かの縁だと思い、佐渡島に戻ることにしたんです。ゼネコンの仕事はとても充実していましたし、働く仲間にも恵まれていたのですが、家族を優先することを決意しました。

ただ、米作り一本で食べていくのはまだ難しかったので、平日は働きました。ゼネコン時代に国土交通省などとも仕事をしていた経験を評価されて、役場に就職することができました。平成の大合併の直前だったので、前職での経験が活きました。

兼業農家として、平日は役場で働きながら、休日は米作りをする生活。ありがたいことに、妻が農業を好きになってくれましたし、父も1年位で怪我から復帰したので、ほとんどのことは妻や両親に任せて、私は手伝っている程度の感覚でしたね。

ー兼業農家から専業農家になったきっかけは?

島に戻ってきてから8年程した時、妻が病気になり、しばらく農業を休まなければならなくなってしまったんです。その時、公務員をやめて、農業一本に絞ることにしました。

その前から、公務員の仕事をずっと続けるかどうかは、常に考えていたことでもあります。私は、仕事とは別に2001年から、新潟県ビーチバレー連盟を立ち上げ、理事長を務めました。新潟県でのビーチバレーの普及促進と2009年新潟国体でのビーチバレー開催に向けて活動をしていました。日本でビーチバレーは知名度がないので国体競技に入っていませんでした。環境美化も含めた素晴らしさを、新潟でも浸透させたい思いで試行錯誤し、約10年かけ競技として採用され、新潟国体の中で一番の観客動員数を記録しました。そこでの成功体験は、自分の中で「思い描けば大きな組織を動かすこともできるんだ!」という自信に繋がりましたね。

ちょうど新潟国体を終えたばかりの時期、次の挑戦を考えている時に妻が病気になったので、自分の中では父が事故に遭ったのと同じように、何かの縁だと思ったんです。不安はありましたが、飛び出すなら今がタイミングだなと。

現在、私たちは、「牡蠣殻農法」という農法を用いて米作りをしています。新穂山から流れる綺麗な水を、海で取れる牡蠣の殻を通し、山と海のミネラルを用いた農法です。これは佐渡だからこそできる農法です。その他にも、色んな工夫を加えることで「相田家産佐渡スーパーコシヒカリ」はお客様から支持される品質になっています。直販もしていて、パッケージデザインから宣伝方法まで、お客様の手元に届くまでの工程を全て自分たちでこだわってやっています。近年はシンガポールや香港の輸出も成功。輸出先とも良い関係を築けています。

また、私たちの特徴は、両親、妻、三人の子供と合わせた7人家族みんなで米作りをしていることだと思います。子どもたちも、家族といえど「手伝い」と曖昧にはせず、仕事をしてもらっている感覚です。部活や遊びなど、自分の予定の優先順位は自分でつけてもらいますが、田んぼに来るときは真剣に働いてもらいます。その分、お給料も払いますし、雨の日手当とか、大変な時期に手伝ってくれたときには「イメージ手当」としてボーナスも払います。

家族間でも、いい意味で組織として動きます。両親に対しても同じです。家族でも気を遣わなければいけない部分はありますし、無理をさせるわけにはいきません。それぞれができること、できないことを区分けして、お互い無理なく心地よく働けるように意識しています。そういう体制でやっているからこそ、家族みんなで作っているという感覚はひときわ強いですね。家族だからこその以心伝心は頼りになります!

ー島の魅力を教えてください

個人的には、伝統芸能・文化が根付いているところが好きです。鬼太鼓、能、「佐渡おけさ」という民謡など、色んな伝統芸能があります。しかも、佐渡島の中でも、地域によって違った芸能があるんです。佐渡には金山があった影響もあり、昔から様々な場所との交流がありました。そのおかげで、九州、北海道、江戸、京都、海外など、様々な文化が入り、それが島の中で根づいているんです。佐渡の魅力は、一度来ただけでは知り尽くせないと思います。

それは、豊かな食でも同じです。「佐渡は海、山、平野と色々あるけど、コレ!という光るものがない!」なんて言われたりもしますが、色々あること自体が魅力だと思うんです。一回来て何かを食べて終わり、ではなくて、来る季節によって違った楽しみ方をできますから。

また、広い島なので、住んでみると島に住んでいる不便さは感じないと思います。大きな娯楽施設はありませんが、私は特に不便さを感じないですし、新潟市出身の妻が一番それを実感していると思います。

私が一番好きなスポットは、やっぱり自分の田んぼがある「国仲平野」ですかね。7月、朝露に照らされた田んぼの稲をバッグに登ってくる朝陽。10月の夕暮れ、稲刈りが終わった後の田んぼに、トキが佇み、その後ろを夕陽が沈んでいく景色は最高です。

この雄大な平野のど真ん中で、我が家のおにぎりや佐渡の豊かな食を堪能してくれる・・・そんな場所を作ることが私の夢です。佐渡の風を朱鷺とともに感じながら世界中の人が心和む場所を作りたいですね。

相田 忠明さん
1974年生まれ。新潟県佐渡市出身。独自の農法を用いた米作りを行う。